SiRi BLOG

世界一周に向けた準備をしています。

【自分語り】生きてるってこと証明できなければ 死んでしまっているのと同じなのかなぁ...

 FF9が面白すぎて、昨日のブログ更新をサボってしまった。

 

 FF9はルフィのような名言製造機である。その中でも考えさせられるセリフが、次のセリフだ。

 

「生きてるってこと証明できなければ 死んでしまっているのと同じなのかなぁ...」

 

 黒魔導士の人形であるビビのセリフだが、全ての人間が一度は考えたことのある内容ではないだろうか。今回はこの問いに対する答えについて、壮大な自分語りをしたいと思う。

 

◆受験勉強が人生の全てだった男

 私が生きる意味を考えだしたのは、小学校2年生の頃であった。

 当時の私は本当に暗い人間で、嫌なことがあるとすぐに泣いていた。学校に行きたくなさすぎて毎日泣き、何故自分が生まれたのかについてよく考えていた。

 結局、その当時は答えが出なかった。8歳という年齢は、世界を判断するにはあまりに経験が足らなすぎたのである。

 

 その後の人生では、生きる意味を考えることがなくなった。いや、正確には「生きる理由を与え続けられたため、考える必要がなくなった」か。

 私の母親はとりわけ教育熱心だった。「良い大学に行けば良い生活が手に入るし、良い人生を送れる。」という洗脳を受け続けた結果、生きる理由そのものが受験戦争に勝ち抜くことになっていった。

 受験期は自分について何も考えることがなかった。周囲も褒めてくれるので、勉強さえしていれば良いと考えていた。勉強が出来るということが、私が生きていることの証明であり存在価値であった。

 

 人生について再び考えるようになったのは、受験が終わった瞬間である。普通は大学に受かった瞬間は喜ぶものだと思うが、私の場合はとにかく不安だった。

 受験勉強中は自分の人生が受験と同時に終わると本気で思っていたし、その先の人生を想定していなかった。何のために生き、どうやって生きていることの証明をすれば良いのだろう?楽しみという感情はなく、ただただ不安であった。

 

 大学1年生の頃は、受験勉強に代わるものを求めて、大学生が行うと言われているものに次々と手を出してみた。4つぐらいサークルに入ったし、バイトなんかもしていた。しかし、どれも2年目には辞めてしまった。

 その反動から、その後の人生は生きる意味を探すことをやめた。特に何も打ち込んでこなかったし、他人の目線や評価もどうでもよくなった。好きなことを好きなだけし、嫌いなことは徹底的にやらなかった。

 

◆「生きてるってこと証明できなければ 死んでしまっているのと同じなのかなぁ...」への回答

 長々と自分語りをしたが、このセリフに対して、社会人になった今であれば回答を行うことが出来る。

 回答内容は、作中のあるシーンのセリフそのものである。

 

「人を助けるのに理由が必要か?人が生きるのに理屈が必要か?」

 

 主人公のジタンのセリフだが、まさに私の考え通りだった。

 

 大学2年生以降は周囲の目を気にせず、ひたすら自分の好きなことのみを行った。他人から評価されることもなく、生きている証明など何一つとしてしてない。

 

 しかし、自由に生きる中で、生きていることへの証明なんて不要なことに気が付いた。そんなことをしなくても、充実した人生を送れることが分かったからだ。

 仕事ができなくても、一生結婚をしなくても、みんなから嫌われていても、生きる権利は等しく与えられている。自分の存在を周囲に証明する義務などない。人生に満足しているという感情こそが、生きていることの証明なのだ。

 

 難しく考えず、好きなように生きればよい。生きてるってことは、想像以上に単純なことだから...。そんなことを思いながら、今日もFFをプレイしている。

 

シリィ